私が担当した事件でマンションにも関わる判決がありました。
業界紙等ではすでに報道されましたが、ここでも簡単にご紹介します。
*マンション管理新聞2020年12月5日第1156号
*週刊ダイヤモンド2020年12月19日発売号
物件は大分県別府市に所在する鉄筋コンクリート造8階建のマンション。熊本地震で受けた被害について地震保険の保険金を請求したところ、保険会社から一部損(保険金は5%・1050万円)との認定を受けました(地震保険契約は2016年以前のもの)。
その認定結果に不満をもった原告は、地震保険の損害認定に詳しい都甲(とこう)一級建築士に調査を依頼。都甲氏はこの建物の被害を半損(保険金は50%・1億0500万円)と評価しました。
そこで原告は、保険会社を被告として、半損を前提とする保険金の支払を請求して訴訟を提起。
裁判所は、原告の主張を認め、建物被害の程度を半損と認定しました。
保険会社はこの判決を受け入れ、控訴せずに判決確定。
原告は、保険会社に勝訴し、無事に正当な保険金を受領しました。原告代理人である私も、ともに勝訴を喜びました。
この判決には、マンションにも関わる大きなポイントがいくつかあります。
その一つは、地震保険における損害認定の「基準」が明確化されたことです。
それもなんと、これまで一般には公開されていなかった(というか今も公開されていない)、いわば業界秘ともいえる「基準」の存在が明らかになったのです。
一般に地震保険の損害認定は、保険会社から派遣された調査員が実施します。その認定に疑問をもつ被災者は少なくないと思いますが、これまでは訴訟になった例が少なく、本件のように被災者側が完全勝訴した事例は(調査した範囲では)見当たりませんでした。
その原因のひとつと思われるのが損害認定の「基準」の存在です。
驚くことに、保険会社が使用している「基準」は、保険契約者である被災者らに一般公開されている「基準」とは違うことが分かったのです。
例えば、地震により建物に発生した「ひび割れ」がどの程度(レベル)の損害と評価されるかについてみると、一般に公開されている「基準」には「近寄らないと見えにくい程度」「肉眼ではっきり見える程度」「鉄筋が見える程度」などの抽象的な記載しかありません。
【一般に公開されている損害認定基準】
レベルⅠ:近寄らないと見えにくい程度のひび割れ
レベルⅡ:肉眼ではっきり見える程度のひび割れ
レベルⅢ 部分的なコンクリートの潰れ、または鉄筋が見える程度のひび割れ
レベルⅣ:…
しかし、保険会社が使用している「基準」には、「ひび割れの幅」が「1mm以上5mm未満」などの客観的・定量的な記載があったのです。
【保険会社が使用している損害認定基準】
レベルⅠ:近寄らないと見えにくい程度のひび割れ(ひび割れ幅0.2mm未満)
レベルⅡ:肉眼ではっきり見える程度のひび割れ(ひび割れ幅0.2mm以上1mm未満)
レベルⅢ 部分的なコンクリートの潰れ、または鉄筋が見える程度のひび割れ(ひび割れ幅1mm以上5mm未満)
レベルⅣ:…
これでは被災者も戦いようがありません。地震で建物に「ひび割れ」が発生しても、それが損害として評価される具体的基準を知っているのは保険会社だけなんですから。
しかも、この「保険会社が使用している損害認定基準」は、一般社団法人日本損害保険協会が作成した公式のものです。
それにもかかわらず、その表紙には「業界内資料」と記載され、一般社団法人日本損害保険協会や保険会社のホームページなどでも公開されていません。
保険会社と被災者はどちらも保険契約の当事者ですから、少なくとも法的には対等であるべきです。保険金の額を決める損害認定基準を知っているのは保険会社だけ、という状況はどうみても適正とは思えません。
今回、保険会社の損害認定に納得ができなかった原告は、再査定を繰り返し要求し、合計6回もの現地調査が実施されました。その間、保険会社は「一部損」との認定を維持しました。6回もの調査を通じ一貫して同じ認定を維持したのですから、保険会社は確信をもって「一部損」と判断したのでしょう。
しかし、裁判所の判断は「半損」でした。支払われる保険金も「一部損」の10倍となりました。
結果的にみれば、保険会社の損害認定は誤っており、原告に対して適正な保険金の1割しか認めていなかったことになります。
当然のことですが、保険会社も間違えることはあります。「ちょっとしたミス」というようなものはもちろん、今回のように何度も調査した上で確信をもって判断した結果ですら間違うこともあるのです。
それにもかかわらず、「保険会社が使用している損害認定基準」が「業界内資料」として非公開とされている現状は、保険会社の誤った損害認定を検証する機会がないことを意味します。
この事件でもし原告が途中で諦めていたら、あるいは裁判で「保険会社が使用している損害認定基準」が明らかにならなかったら、一体どうなっていたのでしょうか。
誰でも間違えることはあります。だからこそ、誤った判断の検証や修正をする制度が必要なのであり、その機会がないということは本当に恐ろしいことです。
原告は「保険会社が使用している損害認定基準」を発見したため、それに従って請求することができました。裁判所も「保険会社が使用している損害認定基準」を正式な認定基準として採用し、それを適用して原告の主張を全面的に認めたのです。
「業界内資料」とされている「保険会社が使用している損害認定基準」ですが、この判決がでたことによって、今後は被災者も損害認定基準として利用することができるでしょう。
それを是とするか非とするかは立場によって様々でしょうが、これまでのように「保険会社は誤った損害認定はしない(その動機がない)から損害認定基準を公開する必要はない」というような雑な説明は許されないと思います。
ちなみに、本件訴訟で一部損(保険金1050万円)と半損(保険金1億0500万円)とを分けた「レベルⅢ」のひび割れとは次のようなものです。
いかがですか。皆さんのイメージと比べて「こんな程度で半損が認められるのか」と思った方も多いと思います。
もちろん半損が認定された根拠は、これ以外にレベルⅠやⅡのひび割れが多数あったからなのですが、それにしても地震保険に対する皆さんのイメージとは違っていたのではないでしょうか。
上の写真は同じ熊本地震で被災した別の建物の被害状況です(「熊本地震における建築物被害の原因分析を行う委員会報告書」)。いかにも地震被害という感じですよね。いわゆる「せん断破壊」というものです。地震による建物の被害というと、皆さんのイメージはこんな感じなのではないでしょうか。
しかし、この写真の説明には「非構造壁」と書かれています。ですので、この損傷は地震保険における損害認定の対象ではありません。
地震保険で損害認定の対象になるのは主要構造部(柱や梁など)だけなので、「非構造壁」いわゆる雑壁がどんなに大きく破損していても、地震保険の対象にはならないのです。
私が普段接している理事の方々も、この辺りは熟知しています。
「非構造壁・雑壁は損害認定の対象にならないんですよね。壁にあんな大きなせん断破壊があっても保険金が出ないなんておかしくないですか。かといって「主要構造部」(柱や梁など)にあんな損害が発生したら保険金だけじゃとても修繕できないし。結局、共用部分の地震保険は入っても意味がないんですよ。」という方が大勢います。
この裁判を担当する以前は私もそう思っていました。
でも本件判決では、多数の細かいひび割れに加えてこの「1mm」のひび割れがあったことにより「半損」が認定されています。
1mmの幅のひび割れのイメージは先ほどの写真のとおりです。この建物にはこれ以上大きな損壊はありません。この1mm幅のひび割れによって保険金が10倍になったのです。
これもすべて「保険会社が使用している損害認定基準」にひび割れ幅の数値が明記されていたおかげです。ひび割れの幅自体は客観的に計測できますから、基準に従って定量的に計算することで損害が認定されたのです。
「保険会社が使用している損害認定基準」を見たことにより、地震保険に対する私のイメージはかなり変わりました。「共用部分の地震保険は出ない(保険金が出るほど壊れたら修繕は無理) 」というイメージは正しくなかったと感じています。
皆さんはいかがですか。これでも「共用部分の地震保険は入っても意味がない」と思われますか。
もちろん保険金だけで建物被害をすべて修繕できるわけではありません。
しかし、地震の直後、住民のため緊急に修繕工事をしたいと理事会が考えたときに、保険金が出る場合と出ない場合とでは、住民合意の成否やスピード感がかなり違うのではないでしょうか。
私は、今回の裁判を通じて「シックネスゲージ」や「レーザーポインター」を購入しました。
日本に住んでいる以上、地震は避けることができませんし、マンションで地震被害が発生した場合には、今回の判決で得た知識を少しでも皆さんに共有したいからです。
(シックネスゲージ)
(レーザーポインター)
ちなみに、私はマンションの外壁タイル瑕疵訴訟を多数手掛けているので、打診棒も常備しています。
(打診棒)
マンション管理を中心に業務をしていると、関連するハード面(建築や設備)の事件の依頼も多くいただきます。
最近はそれに必要なグッズ(打診棒やシックネスゲージなど)がそろうことも密かな楽しみとなりつつあります。
さらに、事件を通じて建築関係の専門家の先生方と知り合うことができるのは、何よりの楽しみです。
本件でも、一級建築士の都甲榮充先生や、大阪大学名誉教授の鈴木計夫先生には大変お世話になりました。このお二人がいなければ訴訟の結果も変わっていたかもしれません。本当にありがとうございました。
そして何よりも本件で一番すごいのは、最後まで諦めなかった原告(の代表者)です。原告のおかげで、今後、地震保険における損害の認定が客観的に行われるようになるでしょう。このような事件を担当させていただいたことに心から感謝いたします。
東京総合法律事務所 弁護士 土屋賢司
tsuchiya@sn-law.jp
以上